1980-03-13 第91回国会 衆議院 農林水産委員会 第8号
ただ、私のところで外国乳製品をつくって売っているというのは、見返り物資でちょうだいしたものは私の方で利用させていただいておるわけでございまして、それ以外にわざわざ外国製品を求めて製品化して売っているというようなことは、私の方の会社に限ってございません、よその会社はちょっとよくわかりませんけれども。
ただ、私のところで外国乳製品をつくって売っているというのは、見返り物資でちょうだいしたものは私の方で利用させていただいておるわけでございまして、それ以外にわざわざ外国製品を求めて製品化して売っているというようなことは、私の方の会社に限ってございません、よその会社はちょっとよくわかりませんけれども。
したがって現地の国民感情としては、見返り物資としてインドネシア生産の穀物についても将来日本が引き受けてもらわなければ困る、こういうようなことも出ておるやに実は承っておるわけであります。
それから外麦の輸入については、頭からこれは見返り物資として外麦の輸入の制限ができないという考え方はおやめになったらどうですか。一挙に外麦の輸入を削限しなくとも計画的に漸減できる方法はあると思うのです。これらを真剣に考えて、食管の貴重な国費というものを最小限度に食いとめるということを私は考えていただきたい、こう思うのであります。これは私から希望を申し述べておきます。
これは、一千六百万ドルに及ぶわが国の工業製品を売るための見返り物資なんです。こういうことについて、林野庁は河合構想について参画されましたか。林野庁は聞いていないはずです。特に、ソ連材を輸入しておるところの北海道のホクレン、これは全然相談がなかったでしょう。河合構想は、日本の鉱工業製品をソ連に売りつけるためのバーター品として別個にこれは交渉しているのです。
内地本土の場合も、いわゆる見返り物資とか、見返り物資の資金を基礎にいたしまして、国内の産業復興のために使ったというような関係のものに似た、そういうかっこうの債権であったろうと思います。
ただ沿岸貿易は先生御承知のように、見返り物資の輸入が問題になっておるのでございまして、この点、ソ連との貿易会談におきまして、機会のありますごとに、スムーズにいきますように交渉を続けておりまして、今後とも青果物の沿岸貿易による輸出がふえますように努力いたしたいと存じております。
○近藤信一君 見返り物資の話が出たけれども、見返り物資は幾らでもあるんだよ。政府はそれをやろうとしないからやれぬだけのことで、本委員会で私がやはりコンブの問題では質問したことがあるのですがね。見返り物資、向こうから取ろうと思えば幾らでも取るものがあるんですよ。コンブなんか、ソ連はすぐ出してもいいと言っているんだ、交渉のときに。
なおまた、戦後わが国の経済復興に貢献をし、特に食糧不足に対する見返り物資として最大の貢献をしたことも間違いのないところであります。ところが、最近における東南アジア等の一部繊維産業の新設、またはアメリカにおいては近代化が非常に進んでおります。しかもまた流通部門の改善、消費者との直結した近代経営にして繁栄しておることも、これは事実でございます。
○淡谷委員 これに対して韓国からは、この見返り物資に船の注文があったと聞いていますがね、これは、赤城農林大臣、お断わりになったそうですな。
(拍手) この矛盾は、あまりに経済の成長が早いから資本蓄積が追いつかなくて、なまはんかな統制では金利が下がらないことを証明しているのでありまして、参考までに私の調べた数字を申し上げてみますと、現在、全国銀行の貸し出し総額は十六兆円、企業間信用は、融通手形などという見返り物資のない架空信用を含めて、驚くべし二十兆円をこえておると推定されます。
そこで、この繊維産業の復興は、当時の日本の生活の不安定な状態から考えますと、少なくとも米の輸入、これの見返り物資、こういうことで、かなりの政府にも貢献しておるとこう考えるのです。ところが、昭和二十五年になりますと、朝鮮ブームということから、これは当時のGHQもこれに対して制限を緩和する、こういうことになったわけです。そのときの日本の政府の考え方というものは、私は目標がなかったのではないか。
少なくともわれわれがプラント類を輸出した場合に、そのプラントにより鉱山などが開発され、それの見返り物資として輸入するのに、おそらく困難はないし、それからまた、たとえば飼料でございますが、トウモロコシの類、または清津とかあるいは羅津、ああいうりっぱな港におきまして、漁業の方面におきましても南鮮よりもかえって発達しておる。
まあ全体として輸出をふやさなければならぬということで輸出市場を拡大すれば、必ず自由化の中で日本の置かれた立場の中では見返り物資として農産物を輸入をしていかなければならぬ。これはもう宿命的なものだろうと思うのですよ。したがって、従来の考え方でなくて、もっと抜本的なこの際農業政策に対するところの自由化に対処しての対策を考えていかなければならぬ時期にきておる。
と申しますのは、中共は非常な農業国でありますし、中共には見返り物資があるのです。中共から当然買うべきたとえば鉄鉱石とか塩とか、あるいは穀類にいたしましても、また大豆とか飼料とかいうような、日本にほしいものが中共にはかなりありますから、中共にかなりな製品を出しましても、必ず貿易面でプラスになる。ただ東南アジアに大いに発展したいのですが、これは遺憾ながら持ってくる品物がありません。
すでに記憶から薄らぎつつあるのでありますが、特需関係は日本経済にとりましては忘れることのできない重要な役割を果たした労務の提供でありまして、日本経済がかつて終戦後食糧にも窮し、かつ日本経済復興のための資材や機械などの入手については輸入が全く不可能な状態に当面しておった際に、たとえば貿易に必要なドル資金はもちろんのことでありますが、見返り物資もとうていおぼつかないといったような貧困をきわめておりました
問題は、どこから、見返り物資から来ようと、緊要物資から来ようと、特定物資から来ようとも、いずれ国の資産というものがもとになっているんですよ。ですから、そのもとになっている部分はいつもどこかで、明らかになっていなければならないわけです。ですから、それはどこにいつも出ているのか、こう聞いているんです。
また、見返り物資は国民が全部払っていたのだから二重払いになるということも、政府の答弁では、対アメリカの関係では決済がされておらないから払うのは当然だということです。しかし、どういうふうにして換算されたか。正式なレートがなかったから、複数レートで換算して、五千二百億円と当時の金で評価されている。
辛うじて小松製作所の賠償見返り物資としての輸出用だけなんです。あとはどこもない。小松のホイール・トラクターの場合も、これは計画はあってもやっていない。久保田鉄工においてしかり、まだ全然立っていない。三菱ふそうは全然考えていない。こういう状態の中で、二十五馬力以上の営農用トラクターは、今年は四百台だが来年は六百八十台にふやしていくという現状です。
皆さんも御承知の通り、世界の食糧というものは、アメリカにしろ、あるいは豪洲にしろ、非常な増産でありまして、それをできるだけこっちへ輸入する、あるいは見返り物資としてどんどん輸入されるというのが現在もとられておる政策である。この点についての御論議はここであろうと思いますけれども、私は非常に重大な経営の問題だと思うのであります。
は古くから農家経済の中核をなして発達し、県経済の消長にきわめて大きい影響を与えてきており、昭和五年に至り最高の発達を示し、すなわち当時の全国産繭額の一二・二三%を占めていたのでありますが、戦時中の食糧政策のために、米麦の作付強制の実施と、戦後の経済的、社会的事情の変転がきわめて激しく、蚕糸の生産も逐次低下し、昭和二十二年度においては昭和年代の最低線を示したが、国内経済再建の必要性から、外貨獲得の見返り物資
MSAの見返り物資としての小麦を消化するクッションとして学童給食が使われ、MSA体制強化の一助として学童給食を利用したり、牛乳の価格調整のために牛乳を給食に回したりするようなこういう便宜主義では真実の学童給食を実施することはできないと存じます。